社長プロフィール

Profile社長プロフィール

増田社長

株式会社増田喜 代表取締役社長ますだ きいちろう増田 喜一郎

生年月日
1975年(昭和50年) 5月7日
出身地
福井県福井市
出身大学
北陸高校 卒業
成蹊大学 中退
所属部活・サークル
中学校 バレーボール
高校 帰宅部
大学 スキーサークル
現在のマイブーム
心を高めること
長所
ポジティブ思考
短所
太っている
好きなもの
稲盛哲学 / 仏教思想
月刊「致知」 / 異世界
苦手なもの
ホラー
オカルト
バイオレンス
趣味、休日の過ごし方
映画鑑賞
PS5
テントサウナ
学生時代の
おもしろエピソード
年間150日スキーをしていた
最近感動したこと
いっぱいありすぎる

Life of the President増田 喜一郎が
社長になるまで

中高生時代

子どもながらに将来を悟った学生時代

スポーツだけは得意で、走るのも一番!水泳もバトミントンも大会で入賞するほどのスポーツ大好き少年。
中学校2年生の頃。
家の本棚にあった姓名判断の本を見かけて、自分の画数の欄を読んだところ「あなたの天職は資源回収業」と書かれていたことをきっかけに、将来は会社を継がなければならないと悟る。
中学3年間で身長が6cmしか伸びなかったことで、スポーツで生きていく道を諦める。
「将来会社を継ぐなら、もういいか」と困らない程度に勉強し、いずれ福井に帰るのならばと東京の大学へ進学を決意。

増田社長 学生時代
増田社長

親からは「長男やけど継がんでもいいよ」と言われていたけれど、完全に仕組まれていましたね。

大学生時代 その1

スキー漬けの毎日を送った大学時代

「住みたい街No.1の吉祥寺に住める」という気持ちだけで大学を選び、進学。
大学でスキーサークルに入ったことがきっかけで、スキーにハマる。
年間150日をスキー場で過ごし、オフシーズンはバイトをしてお金を貯める日々を過ごした結果単位を取れず、大学を中退。

増田社長 学生時代
増田社長

元々福井でも遊びでスキーをしていました。元々スポーツが得意だったこともあり、どんどん技術が身につくのが楽しくてどハマりしました。

大学生時代 その2

突然増田喜へ戻ることが決まった人生の転換期

スキー教師をしながらデモンストレーターを目指し、スキーで生きていくと決めた。
経験を積むためにカナダ留学をしようと準備中の頃に、母から「父が借金の保証人として多額の債務が発生するかもしれなくて夜も眠れない、帰ってきてくれると助かる」と電話があり、急遽留学をキャンセル。スキーをあきらめ実家に戻り、増田喜に入社することを決意。

増田社長 学生時代
増田社長

母が泣き言を言うのは初めてだったので、ただ事じゃないと思い、福井に戻ることを決めました。結局借金も多額の債務も無く…(笑) あのままカナダに行っていたら戻っていなかったかもしれないので、母はそれを心配したんでしょうね。
入社して1年後に父が病気になったのですが、それが帰るきっかけにならなくて本当に良かったと今でも思っています。

新人時代

この仕事の大変さを痛感した新人時代

新人時代は、ひたすら回収に明け暮れる日々。
「コレを持ってけ」と段ボールを投げつけられたり、カビや泥まみれの段ボールを回収したりと、良いとは言えない作業環境。「私は息子だから耐えられるが、若者にこんな仕事はやってもらえないだろうな」と思いながら仕事を覚えていた。
父が一度病気になったのを機に、代表の代わりとして仕事をするようになる。

増田社長 新人時代
増田社長

長男が生まれたときに「このままではいけない」と思い、社員の意識改革や社員品質の向上に取り組むようになりました。若い人にここで働きたいと思われる憧れの会社にならなければと舵を切りました。

40歳

40歳の節目の年に承継し、社長へ

青年会議所での活動を通して多くの仲間ができ、かけがえのない経験・体験を通して人間力が鍛えられる。また、事業計画書の作成や実行を通じて論理的な思考を身につけた。
稲盛和夫さんの勉強会「盛和塾」にて、経営哲学を学ばせてもらい、経営の基礎や考え方が育てられる。
青年会議所を卒業する40歳の年齢で代替わりをし、社長就任。

増田社長

紆余曲折ありましたが、こうして本来の居場所に戻り、増田喜の社長として皆さんにご挨拶できています。これも、良いご縁とたくさんの経験、そして私自身「なにごとも挑戦だ!」の気持ちでチャレンジしてきた結果だと思っています。
私が新人時代に抱いた苦労や嫌な気持ちを若い人にはさせたくない。その気持ちで、今も改革を進めています。
私だけでなく、社員のインタビューもたくさん掲載していますので、ぜひ参考に読んでみてください。